未明の幻想世界

私の脳内で展開される世界を小説にして投稿します!彼らの運命を見届けてくれる人が一人でも多く現れることを祈って……

0、プロローグ〈4〉

アリアは、建物と建物の間の狭い路地を見つけ中へ入っていく。建物に遮られて昼間とは思えない暗さとなっている路地は、ぼっとしていればすぐに何かにさらわれてしまいそうであった。まあ実際
「やあ、お嬢さん。どっから来たんだい?ちょっとおじさんに金かしてくれないかな?」
こんなことを言うおバカな人間どもが、路地裏には出没する。
「おじさんこそ、こんなところで何してるの?ぼくはおじさんみたいな使えなそうな人に構ってる暇ないんだけど?」
男は一瞬目を見開くと、すぐに顔を真っ赤に染めた。
「いいじゃないか。そこまで言うなら確かめさせてやろうか、ねっ!」
そう言うと、男は大きく拳を振り上げてアリアの方に突っ込んで来た。普通の女の子にしてみれば、目にも止まらぬ速さ。だが、日頃のブラフィルドとの訓練で本物の「目にも止まらぬ速さ」を見ているアリアにとって、この男の拳はスローモーションのようにゆっくりに見えた。

右の拳を振り上げるところまでは良かったんだけど、前に突進するときの体重移動にムラが多すぎる。あれじゃ威力を殺しちゃうよ。やっぱりこいつはーー

「不合格だねっ」

そういってアリアは左脚に魔力を込める。靴に埋め込まれた宝石が光り、解読不能な文字の羅列と魔法陣が浮かび上がる。そして身体が少女とは思えないほどの速さで左へと跳躍し、男の拳を軽々と避けた。バランスを崩して前へとつんのめる男を呆れた気持ちで眺めつつ、アリアは右腿から小さなナイフを取り出した。その銀でできたナイフに魔力を注ぎ込むと、シンプルだった刃に文字と幾何学模様が浮かび上がる。アリアはそのナイフを、なぜか男の首筋に軽く触れさせた。男は驚きに目を見開き、すぐに数秒痙攣すると、力が抜けたように地面に倒れこんだ。アリアはそれを確認すると、ナイフを太腿にしまう。
「雷系統の気絶魔法か。さすが先生、こんな調整がむずかしい魔法式を完璧な力加減で仕立ててる」
アリアが使ったナイフには、ブラフィルドの作った魔法陣が埋め込まれている。本当は致死性のある雷系統の術を埋め込むはずが、アリアが無理を言って死なない程度に威力を弱めてもらったのだ。たとえ自分が危険な時であっても、守るべきものを殺めることは許されない。アリアはそう考えていた。

アリアは他に候補がいないか探すため、さらに奥へと歩いて行こうとする。しかし、数歩歩いたところで並々ならぬ気配を感じてアリアは立ち止まった。
「だれ? 」
アリアが問いかけると、何もない闇から無音で人影が現れる。
「君、なかなかやるな。そこの男は、一応うちの組織の中でも結構腕の立つ方なんだ」
謎の男はそういってふっと笑った。無駄の無い動きと余裕のある笑みに、アリアの鈍っていた感覚が一気に呼び起こされる。
「きみこそ、そんな高度な幻術どこで手に入れたのさ」
相手の出方を探りつつ、牽制も兼ねてそう問い返す。余裕のある口調とは裏腹に、先ほどからアリアの脳内ではかつてないほど大きな音で警告音が鳴り響いていた。

この男とまともに戦っても勝ち目はないーー

そう判断するのに、0コンマ2秒もかからなかった。逃げなきゃ。理性はそう叫ぶが、身体はいうことを聞こうとはしない。否、聞けないのだ。
(むり。今のぼくの能力じゃ、あいつの射程圏外に逃げ切る前に殺られる……)
首筋に冷たい汗が這う。アリアの全力を使って両脚に最大限のブーストをかけたとしても、相手の視界から完全に消えられるところまで跳躍するのには1秒はかかるだろう。それだけあれば、あの男はアリアの急所を3回程突くことが可能だ。
(ああ、こんなことになるんなら、攻撃系の魔術を一つぐらい身につけておけばよかったなぁ)
どうせ誰かを殺すことなどないのだからと攻撃手段を身につけて来なかったアリアの失態だ。たとえ殺す気がなくとも攻撃魔術があれば、敵の足止めぐらいはできただろうに。

「回想は終わった?そろそろいいかな」

どうやら男はアリアが考え終わるのを待っていたらしい。今の回想に費やしていた時間は2秒ほどなのだが、2秒あれば2人の戦いの決着をつけるのは容易だ。その時間を何もせずにいた男は、アリアとの力量差をよくわかっているらしい。まったく、舐められたものだ。
「いいよ。好きにして。どうやら結果はどう足掻こうと変わらないみたいだから」
「そうか。では遠慮なく行かせてもらおう」
男はそう言って笑った。
瞬間。
「くっ!」
比喩なしに瞬き一つの時間もなく、男が目の前に現れる。とっさに避けるアリアを男は余裕たっぷりの笑みを浮かべながら追撃する。男の手には、いつの間にか一振りのダガーが握られていた。それがダガーとわかっただけでも幸運なのに、音速で迫るそれを避けきることなどできない。アリアの肩口に刃がそい、肉を軽々と切り裂いていく。瞬間の冷たさと、その後すぐに襲ってくる激痛と鉄の香り。そうか、この匂いは血だったんだ。アリアは幼い頃に嗅いだ胸をかき混ぜるような嫌な臭いの正体を自らの肉体を持って確認することになった。痛みに朦朧とする意識の中で、ダガーが心臓へと迫ってきているのがわかる。先ほどの無理な回避によって体制を崩していたアリアに、次の一撃を避けることはできない。
(ああ、終わったな。ぼくの人生)
ただ使命のために生まれ、その遂行のためだけに生きてきた12年間は、ここで虚しく果てるのだ。でもこれでよかったかのかもしれない。きっとこれで、ぼくはやっと自由になれる。

笑ってもいいんだよ。君は1人の人間なんだから……

その時、かつてたった1人、自分に笑っていいなんて言った「彼」の顔が浮かんだ。よく考えば彼以外の人と笑ったり泣いたりしたことはなかったかもしれない。今まですっかり忘れていたのに、なんだって今思い出したのだろう……

お兄様ごめんなさい。ぼく、約束を果たせそうにないや……

その瞬間、足元に煌めく魔法陣が浮かんだ。魔法陣から溢れる雰囲気から推察するにおそらくそれは攻撃魔法。しかし、対峙する男は一切詠唱をしておらず、魔法を記憶しておく魔法石を使った形跡もない。ということは……
アリアは持てる力全てを使って魔法陣の圏外に飛び出した。アリアの身体は無理やりな力を加えられたため、とてつもない勢いで後方へ吹っ飛ぶ。吹き飛ばされた空中で見たのは、魔術の発動に必要な魔力供給を受けられず霧散した魔法陣と、眉をひそめてこちらを見る男だった。
「誰だ、そこにいるのは」
底冷えのする声に、アリアは思わず身震いしそうになる。しかし、男が発した声はアリアに向けられたものではなかった。その声に誘われて、横の角から人影が現れる。その人影は20歳になっているかどうかの青年だった。後ろに一つ束ねられた濃藍の長髪を振りながら、青年はアリアの方へ振り返る。彼の眼がアリアの眼を覗き込んだ。

なんて、儚く切ない瞳なのだろう……

アリアは自分の状況を忘れ、ただただその眼に魅せられた。それは、全てを呑み込む夜空のようだった。アリアはその闇に吸い込まれるようにして、深い眠りへと落ちていく……